時の流れ自分史 その2

昭和15年(1940年/紀元二千六百年)の頃
昭和13(1938)年、鹿児島市中州の尋常小学校に入学。 1〜2年と5〜6年の時は、「全甲全優」で先生に良くして頂いた。

昭和18年、父が召集で三島の軍隊入隊し、何回も鹿児島から面会に出かけた。 しばらくたって、パラオ島に配属。文字の上手さを買われて、本部付きで、あまり苦労も無かったと。 終戦前になると、手榴弾を使って魚をとったり、大変だったと聞く。

小学生5〜6年生になると、戦争が激しくなって校庭を畑にして生徒全員が畑仕事。 豚も飼って、その飼育で汚わいがピチャピチャ!! 竹槍訓練、看護の仕方、大変な時代に 突入。遊び食料が乏しく、小さな体で母親と田舎に買出しに行った。 空襲警報で、電気に覆いをしたり、山が近かったので山に逃げたり(もうこういう時代 は来て貰いたくない)。鹿児島へは、父の職人としての腕を買われて、今で言う引き抜き で出かけたという。戦争の激化とともに、鹿児島が危なくなるというので、 母は徹夜して静岡までの切符を買ったという。静岡まで帰る途中の汽車は、また大変な行程だった。

ちょうど私が、第1高女を受験して合格をみて、翌日だったと記憶している・・合格したのに、焼津に帰っても 女学校に入れなかった・・いろいろ事情があったようで、そこでの1年間は過去になってみれば、また良 かったのかもしれない。なぜなら妹(ちなみに鹿児島生まれ)に言わせると、私が何かで総代で出て、とても顔がひろくなったよ! だそうだ。そのころ、満蒙開拓義勇軍で出征する学生の壮行会があって、私も行きたいな〜なんて 思ったりした。そういう宣伝が、あったのかも知れない。終戦で、悲劇も相当あったらしい。 翌年、無事に静岡県立高等女学校に入学できた・・・

(※)この激動の時代については、追って加筆の予定です。

参考:≪過去年表(昭和15年)≫    ♪雪の進軍.MID

BACK

Welcome!
Lame's Home-Page
NEXT
<準備中>